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 他のコンテンツに力を入れていたため、こちらの更新に手間取ってしまいました。
 
 さて、「人類はその大半が精神的に健康であるなどという迷信から離れられなかったのでしょうか。次回はその辺について考察してみたいと思います」と前回結びましたので、今回のテーマはもちろんこの件についてです。
 
 結論から言ってしまいますと、これを認めると自分が被差別者になってしまうからです。「あなた、今日から被差別者です」といわれて、「はい、そうですか」と応じる人間はまずいません。しかしながら、差別意識、そしてそれを世から無くそうという働きかけを行わないこと事態が精神の不健康性の表れですなのから、まさに自縄自縛としか言い様がありません。
 
 
 また、「心が病んでいる」と言うことの定義が不明瞭であるというのも問題でしょう。
 「DSM-IV」という精神疾病の定義一覧が、精神医療界にはバイブルとして存在します。そこに記載されている症状のひとつに「人格障害」という疾病名があるのですが、ひとつ引用してみましょう。
 
●その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った、内的体験および行動の持続的様式。この様式は以下の領域の2つ(またはそれ以上)の領域に現れる。
 
 このあともずらずらと定義が続くのですが、割愛します。見ての通り、ぱっと見ると何を言っているのかさっぱり分からない言葉が続くだけですので、以下に簡潔にまとめます。
 
●その人の属するコミュニティにおいて、望ましい思考や行動をできないこと。
 
 一言で言うと、こうなります。これでもまだピンと来ないと思いますので、さらに精神医療界に伝わる笑うに笑えないジョークで伝えてみたいと思います。
 
アメリカ人精神科医「自分の意志で自分の行動を決められなかったり、誰かの許可をいちいち必要とする人間は、間違いなく精神病だ」
 
インド人精神科医「待ってくれ、それではインド女性のほとんどが精神病になってしまう!」
 
 そう、精神病と言うのは所詮この程度のことなんですね。見方ひとつで、どうとでもなってしまうものなのです。だから、人類の大半が精神病だって、何の不思議も無いわけです。
 言い換えると、そのような意味もあって、私は解釈の違いなどの入る余地が無い「再養育の親役が務まるかどうか」という本当に精神が健康な人間にしか行えない部分を、絶対的な診断基準として推挙しているわけです。
 
 誰だって、病気になどなりたくないものです。ガンやエイズを告知されたら、無駄と頭で分かっていても、なんとか否定しようと必死になるでしょう。
 しかし、病まずに一生を終えることを出来る人間と言うのは、事故などで早世した嬰児ぐらいのものです。風邪のひとつも引かずに何十年も行き続けられる人間などいはしません。そして、病気に良いも悪いもありません。ただ、辛いだけです。それは、心の病も同じなのです。
 
 また、いつの頃からか、世間的に身体障害者を「体の不自由な人」と表現するようになってきましたが、これに倣うなら、精神障害者は、「心の不自由な人」と表現できます。こう書くと、随分とイメージが変わってくるのではないでしょうか。
 
 みなさんも、一度自身の心に問うてみてください。「なぜ、自分の心が不自由では『おかしい』のか?」と。きっと、新たな世界が開けることでしょう。
 
 
 
 

 
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