犯罪ゼロを目指して
 
 
 まず、今回の話を進めるにあたって、明言しておきたいことがあります。私は少なからず犯罪被害にあったことがあり、いまだ癒えぬ傷を心に負っています。以下の文章は、このことを常に念頭に置いてお読みください。
 
 
 皆さんは、「スケープゴート」(以下、SG)という精神医学の概念をご存知でしょうか。和訳すると生贄の山羊ですが、これはアダルトチルドレン(以下AC)という精神医学の概念で用いられるものです。
 ACについての詳細は、当サイトの特集にある「心が飢えれば体が太る」などを参照していただくとして、このSGに話を絞って解説します。
 ACは、機能不全家庭という歪んだ家庭環境から生まれます。その歪んだ環境の中で、子供たちは、家庭を崩壊させないように、「ヒーロー(英雄)」「クラウン(道化)」など、様々な役割を演じます。SGも、そんな役割のひとつです。
 SGの役どころとは、ずばり「憎まれ役」です。つまり、「こいつさえいなければ全て上手くいくのに」という幻想を与え、共通敵となりって周囲の者に連帯感を与えることです。様々な役割の中でも、最も悲惨な役回りといえます。
 
 なぜ今回のテーマでこのような話をしたかといいますと、日本は、いや世界中が、機能不全家庭ならぬ機能不全社会だからです。犯罪者たちは、機能不全社会におけるSGなのです(ついでにいえば、もろもろの被差別者やいじめられっ子たちも、こうした機能不全社会のSGです)。
 
 最近、刑罰を強化しようという声が強まっていますが、はなはだ無意味といわざるを得ません。SGである犯罪者は、機能不全社会の中でババを引いた者がトコロテンのように押し出されて出現するものであり、刑罰を強化したからどうにかなるというものではありません。
 刑罰の強化で犯罪が撲滅できるなら、牛裂きの刑や磔など行っていた時代にとっくに人類は犯罪を克服していなければ理屈が合いません。すなわち、罰を科すというのは、犯罪を撲滅する上で、ミスチョイスなのです。
 罰とは恐怖であり、恐怖は抑圧を生みます。しかし、抑圧が何の解決をもたらさないことは、フロイドの言葉を借りるまでもない、自明の理です。むしろ、より大きな問題の「爆薬」にしかなりません。
 
 では何が必要かといえば、それは貧富の差の是正と治療です。衣食住に娯楽足りて、さらに健全な精神を持つ者には、わざわざ好き好んで罪を犯す理由が無いからです。
 貧富の差の是正に関しては、特集「自由階級主義宣言」にて書きましたので、ここでは後者に絞って解説します。
 
 犯罪者の精神背景を調べていくと、幼少期の愛情不足が非常に高い割合で浮き彫りになってきます。日本ですと、近年有名なのは神戸の「少年A」で、現在再養育療法を受けているとのことです。
 しかし、現在の日本の法律では、成人した者には、こうした処置は与えられることがありません。成人したら自動的に精神的に健康になるというわけでもないのに、法が改善の機会を剥奪してしまうのです。むしろ、最近は少年法見直しと称して、未成年からもこうした機会を剥奪しようという動きがうかがえ、戦慄を覚える次第です。
 
 しかし、犯罪者に罰ではなく救いを与えることは、ひとつの大きな問題が浮上してきます。そう、被害者感情です。
 マスコミが人気取りのために犯罪者、果ては被害者までさらし者にし、被害者と縁もゆかりもない大衆が、新聞やモニターに向かって罵声を浴びせる。これは、何の権利も発展性も無い、ただの悪趣味です。
 しかし、被害者や被害者に親しい者にしてみれば、法的・社会的に考えられる限り過酷な罰を与えてほしいと願うのは無理も無いことではあります。
 
 では、やはり罰は必要なのかと言うと、それは違います。そもそも被害者にとっての犯罪者への罰とは、「自分の受けたマイナスを、相手にもマイナスを与えることで少しでも不満を解消したい」ということです。
 しかし、言い換えると、犯罪者にプラスを与える代わりに被害者にも同等以上のプラスを与えるなら、被害者感情も収まるということになります。つまり、被害者のケアが十分であれば、罰は必要ではないのです。
 犯罪を扱ったドキュメンタリー番組などを見ていると、犯人の逮捕を以て「事件解決」と表現することが多いのことに、大きな疑問を感じます。本当に大変なのはそこから先、裁判や被疑者の被害の回復だからです。
 よく「恨みからは何も生まれない」みたいなことを言う人がいますが、それを言っていいのは被害者だけです。そんなことを言っている暇があったら、法の改善と被害者のアフターケアに尽力して頂きたい所です。
 
 また、社会そのものに再養育を根付かせることは、警察腐敗と司法渋滞の緩和に役立ちます。
 警察が腐敗する理由のひとつに「多忙」があります。あまりにも多くの事件が発生するから、彼らは「不幸の格付け」という傲慢極まる判定行為をし、(警察にとって)些細な事件は、あの手この手で難癖をつけて諦めさせようとし、また、受理しても何年も放置するなどという怠慢と「やってあげている」という意識から来る横柄がまかり通っています。
 忙しいというのは、無論何の言い訳にもなりません。世の中の人間はみな大抵忙しいものです。忙しいなどと言うのは、ただの甘えた言い訳に過ぎません。
 日本の警察は優秀ということになっていますが、これは交番制度と、被疑者を最大21日間拘留できるという、非人道的な法(ちなみに、アメリカは1日です)によるところが大きく、決して人材そのものが優れているわけではありません。
 
 警察腐敗問題に関しては市民団体などでオンブズマンの設立が叫ばれています。それも一理あるかとは思いますが、私はやはり、再養育と貧富の差の是正で犯罪の動機を根元から断って発生を抑え、警察に「忙しい」という言い訳を使う隙を与えないことが、ベストと考えます。
 
 
 
 
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