名 言 集
 
 トップページに掲載する、「名言」を募集しています。
 
 
2006年夏季

 「幸福を発見したいと願うなら、感謝とか恩知らずなどを考えずに、与えるという内面の喜びのために与えるべきである」  ──デール・カーネギー著「道は開ける」より

・再養育療法の本質を示す名言です。

 

2006年9月

 「無知は罪なり」  ──発言者不明

・ソクラテスの発言と勘違いしてしまったため、急遽「発言者不明」とした曰く付きの名言。
 無知とは大変恐ろしいものです。知らぬ間に人を傷つけ、それでいてその悪に気づくことが無いからです。ここで無知を注意されて「逆切れ」してしまう人が少なくないのですが、ここで切れないためには、「無知の知」の視点が必要になってくるわけです。
 その関連と前回の雪辱(?)もあってソクラテスの「無知の知」を10月の名言にしてみたかったのですが、今回は見送ります。

 

2006年10月

 「物が豊かに満ち溢れた国、でも心の貧しい国だと思います。自分だけの幸福を追って、他人を思い遣る心のゆとりが無い人の笑顔は、とても寂しそうです」  ──マザー・テレサ 日本の印象を訊かれて

・今回より、トップでの掲示とこちらでの掲示を並列して行うことにしました。
 さて、マザー・テレサは3度来日しているのですが、さすが慧眼というべきか、たった3度で日本の本質を見抜いてしまいました。
 ちなみに私(水原)は論文などを見ての通り徹底した唯物論者ですが、「唯物論者として、宗教家を認めるのか?」という質問を投げかけたい人がいるかもしれませんので、予め回答を。
 「彼女の場合は『有り』」です。論拠を語ると長くなってしまうので、いずれ別の機会に語りたいと思います。

 

2006年11月

 「一期一会」  ──千利休

・ご存じ、千利休の名言ですが、実はこの言葉、唯物論の本質を鋭く衝いています。
 唯物論の本質とは、希望的観測をしないこと、飾らないことにあります。そして、この一期一会とは、「人はいつ死ぬか分からない。眼前の人間とは会うのはこれが最後になるかも知れない」という覚悟で自分の持てる全てを出し切り、誠実誠意を以てもてなすという思想です。
 これは、非常に唯物的な考え方です。唯物論もまた、そこにある森羅万象(例えば「死」)をありのままに、受け止め、認めるという覚悟を以て臨む哲学だからです。
 利休の想いもむなしく、茶道はいつの間には形式ばったものになってしまいましたが、本来はもてなしの心を茶を通して表すという、無形のものです。唯物論もまた、本来の真意が捻じ曲げられて、物質至上主義=心を認めないものかように扱われるようになってしまいました。哀しいことです。

2006年12月

 「唯才是挙」  ──曹操孟徳

・「ただ才(能)のみ、これを挙げよ」と読みます。時の権力者となった曹操は、この言葉を天下に発しました。曹操という人物は、三国志ファンから「人材コレクター」の異名で呼ばれるほどの人材(才能)好きで、日本の有名人で言うと、ちょうど織田信長にタイプが似ています。

 現代の感覚で見るといたって普通のことを言ってるように見えますが、実は当時においては…いや、現代の感覚においても、かなり「ブッ飛んだ」国令なのです。当時の中国は、儒教がその全てを牛耳っていました。儒教はすでに形骸化し、儒の根幹を成す「才と徳は一体である」というその考えもまた、形骸化していました。そこに曹操は、「徳などいらぬ。才があれば、何者であろう重用する」と公に言ってのけたわけです。
 この「何者であろうと」は、本当に文字通りの意味でして、学歴が無かろうが犯罪者だろうが被差別者だろうが異民族だろうが、本当に全ての看板を問わないのです。ここが、現代の感覚すら超越している点です。

 この曹操の才以外の一切を問わない姿勢は、郭嘉という軍師との関係によく現れています。この郭嘉という人物、素行不良であったと人物評が遺されており、幕臣から不評を買うこともあったそうですが、同時に、類稀なる智謀の持ち主でもありました。そんな郭嘉を曹操は重く用い、二人の関係はちょうど後の劉備と諸葛亮のような関係であったといえます。
 郭嘉は風土病で早世し、その少し後に曹操軍は赤壁と言う戦場で歴史的な大敗を喫するのですが、このとき「郭嘉がいればこのような惨めな敗戦はしなかったろう」と曹操は言っています。また、他にも郭嘉の死を惜しむ詩も詠んでおり、郭嘉と言う「才」への、曹操の入れ込みぶりが伺えます。

 このように、徹底した「才愛主義」とも言うべき国政で巨大化していった曹操軍ですが、これは同時に、大変危うい方策でもありました。現代において、これに最も近い国政を採っているのがアメリカですが、貧富の差に起因する凶悪犯罪が多発しているように、「唯才是挙」は、福祉の対極にある、弱者にとても冷たい発想なのです。実際、曹操の治世は、優れていると同時に大変に刑罰が厳しかったといいます。
 また、看板を一切考慮せず才だけを見抜くには選抜者に高い眼力を要求します。いわば曹操だからこそ成しえた国政であり、曹操の死後、歴史書が語るように、魏は衰退し、やがて滅亡します。

 そこで、このような状況を鑑みて私が提唱しているのが「自由階級主義」。曹操風に言うなら「唯望是挙」の方法論と言うわけです。曹操の知は時間を2000年近く飛び越えた優れたものでしたが、彼を筆頭に、どの偉人もさす  がにその先までは到達できませんでした。
 なぜならば、自由階級主義を達成するためには、何千万、何億と言う人間の「望」を瞬間的に計算し、相場化できる状況が必要だったからです。そして現代になって通信速度が爆発的に発達し、やっとその下地が出来たというわけです。

 当時の人々に曹操の「唯才是挙」がなかなか理解されなかったように、私の「唯望是挙」もなかなか理解されがたいでしょう。しかし、次の時代に来るのは間違いなく自由階級主義、あるいはそれに類するものであると確信します。 

 

2007年1月

 「一人を救う者は世界を救う」  ──映画「シンドラーのリスト」 イザーク・シュターン

・「シンドラーのリスト」は、スティーブン・スピルバーグ監督の作品で、ナチスが台頭していた時代、ホロコーストからユダヤ人を救った人物の一人、「オスカー・シンドラー」とナチスとの静かなる闘いを描いた映画です。ご覧になった方も多いでしょう。
 イザーク・シュターンはシンドラーの会計士を務めた人物であり、劇のラストで、上記の言葉をシンドラーに贈ります。このやりとり(というより発言)が、実際にあったのか、それともスピルバーグ監督の脚色か判断がつきかねたため、ここではあくまで映画内での発言として扱います。

 シンドラーは、別に聖人君子ではなく、軍需景気目当てにやってきた、戦争ゴロのひとりであり、後に夫人と離婚もしています。
 しかし、シンドラーはいかなる経過を経てかヒトラーのやり方に反発を覚えるようになり(劇中では、ユダヤ人少女の死体の目撃がきっかけとなっています)、「労働者としてユダヤ人を匿い、強制収容所送り(=死)から救う」というやり方でヒトラーに闘いを挑み、多くの人命を救いました。その数実に6千人といいます。

 人は、誰かに助けを求められると、忙しいだの余裕がないだの義理がないだの、はては神仏でないだの聖人でないだのといってすぐに渋りますが、シンドラーこそ、神でも仏でも聖人でもない、ごく普通の人でした。そのシンドラーに出来たことの6千分の1以下もできないとは、いかに恥ずかしい言葉でありましょうか。一人を救うことがまた別の一人を救い、救いの連鎖が生み出されるのです。

 

2007年2

 「無知の知」   ──ソクラテス

・今回は正真正銘ソクラテスの言です(2006年9月参照)。
 これは、「人は所詮全知の存在になれない。まずは、それを知ることが真の知への始まりである」と説いた言葉です。人と言う生き物は、所詮自分の人生体験の範囲内でしか世界を知ることが出来ません。

 たとえば、常識や一般論の名の下に、説教やアドバイス(と本人は思っている指図)をしている人間の言を注意深く聞いてみると、結局は「自分はいかにに人生でこれこれこういう苦労をしたか」という苦労自慢であり、また「目の前の相手の感情・思想を自分に合わさせたい」という支配欲に過ぎないことが大変多い。まずは、こういったことに気づくのが知への第一歩と言うわけです。
 そして知への第二歩は、上記を踏まえたうえで、言葉や本、HP、映像作品などを通して語られる「他者の知」を好き嫌いせずに貪欲に吸収していくことです。その後で、好悪ではなく「理」をもって要・不要を選別すればよい。そうすることで、100にはなれないけれど、90や99の知へと近づいていくことが出来るのです。

 

2007年夏季

「"見る"と"観る"では全然違う」   ──コナン・ドイル著「シャーロック・ホームズの冒険」よりホームズの言

・さすがに一人でやっていると、「ネタ切れ」が厳しいです。これは、と思う名言がありましたら、ご投稿ください。

 さて、今回の言葉ですが、これはワトソン博士がホームズ家の階段の段数(17段)を答えられなかったときに言った言葉です。

 我々は日々の生活の中で、様々なものを漫然と見聞きしています。しかし、その多くは忘れ去られていきます。これが「見る」ことです。一方、「観る」というのは、注意を払って観察・分析する行為です。「観た」ものは、きちんと記憶されます。

 例を挙げてみましょう。キャッシュバックというサービスを実地してる商店がよくあります。「見た」だけではこのキャッシュバックはただのサービスですが、「観る」と、キャッシュバックの裏にある巧みな計算が透けてくるのです。
 人間の心理に「一度出て行ったものが一部でも戻ってくると、得したような気分になる」と言うのがあります。ある商店が2割引でものを売っていましたが、あまり人気が出ませんでした。しかし、方法を変えて支払い後に2割をキャッシュバックするようにしたところ、大人気となりました。
 まず、なぜ前者の人気が出なかったかですが、商品の価格そのものを下げたため「安かろう、悪かろう」という心理が客に働いてしまったのです。一方後者は価格を維持してこの悪印象を回避するとともに、前述の心理が加わり、好印象を与えることに成功したわけです。

 児童虐待者の多くは、「子どもが何を考えているかわからない」と言います。では、なぜわからないかと言うと、自身の葛藤が強すぎて、「観る」冷静さを失い、子の言動を「見る」にとどまっているからなのです。だから、子どもが言外に必死に放っている真のメッセージを読み取ることが出来ない。
 人間の言動には、必ずその裏に「背景」があります。そして、この背景は「観る」ことによって、初めて理解が出来るのです。観る目を養うこと、それが虐待を防ぐ鍵なのです。

 

2007年秋季

「守・破・離」   ──とある私の師の教え

・私が絵をたしなんでいたころの、師の発言です。

 師は、芸の道には「守・破・離」の3つの段階があるといいました。

 「守」は、師の教えや伝統を愚直に守っている状態、いわば基礎トレーニングを積んでいる半人前の段階です。

 「破」は、その状態から脱却しようと、試行錯誤し、掟破りを試そうとする期間です。しかし、がむしゃらにああでもないこうでもないとためしている、悪く言えば実験と自己満足の時代ですから、芸としてはムラが多く、下手すると、「守」のころよりひどいものが出来上がることもしばしばです。

 「離」は、上記の試行錯誤から成功例を蓄積し、ついに自分の道を見つけ、師の教えから離れ、真に独立したことを示します。これで一人前と言うわけです。

 精神医療界、ひいては学問の世界は、悲しいかな、「守」に固執する人間がたくさんいます。それどころか、「破」や「離」の人たちに、伝統を持ち出して、攻撃までする有様です。そして、「守」のヒッたちの攻撃方法は、自らの理をぶつけてくるのではなく、「自分の師の本を読め」「ろくなキャリアがないくせに」などと、自分ではなく、他人の言葉を借りたり、時間と言う埋められないものを盾にするという(こうやって潰されてはキャリアの積みようがありません)稚拙で無責任ななものというのが、切ない現状です。

 学問とは、知的好奇心を満足させるためのものでもありますが、それが許されるのは考古学など趣味的なものだけでしょう。他者の人生にダイレクトに関わる医学などで「守」に囚われ前進を怠る人間が後を絶たないことは残念、かつ恐ろしいことです。、

 

 
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