人はなぜ太ってしまうのか
 
 人はなぜ、太ってしまうのでしょうか。それはもちろん、日々の摂取カロリー量が消費カロリー量を上回っているからなのですが、ここで問題にしているのは、「なぜそうなってしまうのか」という部分です。
 これには諸説あります。曰く、便利な世の中になって、動く必要がなくなったから。曰く、人類は長らく飢えていたが、近代になって急に食糧事情が良くなったので、食欲の抑制が苦手なのだ、など。
 私はこれらにも一理あるとは思いますが、本書では角度を変えて、「心が飢えると体が太る」という視点から、あなたを悩ませている肥満問題を解決してみたいと思います。
 

鬱と糖尿病
 
 東京臨床糖尿病医会会長・伊藤眞一氏によれば、糖尿病治療の現場では鬱病が大変問題視されていること言います。
 鬱の症状のひとつに、「食べ過ぎる」というのがあります。鬱病というのは、いろいろなことに対して意欲がなくなってしまう心の病気なのですが、この中で数少ない、残る欲として「食欲」があります。
 なぜなら、食欲は人間の欲の中でもかなり上位に存在するものであり、なおかつ、昨今は宅配ピザやコンビニ弁当、外食など、手間隙かけずに食事を取ることが可能だからです。このため、精神医療の現場では「鬱太り」という言葉が用いられています。
 そして、この「鬱太り」が、冒頭の糖尿病など生活習慣病治療の場で問題視されているわけです。これら生活習慣病は全般に太ることが天敵ですので、動く気力が失せ、なおかつ食欲に欲求が集中してしまう鬱病は、まさに最悪の相性なのです。
 
 鬱だの糖尿だの重苦しい話題が続いてしまいましたが、私がここで言いたかったのは、心の不調と食欲の増大、そして運動意欲の低下は深い関係にある、ということです。そしてこれは、ごく一部の人だけの問題はありません。たとえば、「イライラするとつい食べてしまう」などという人は少なくないと思います。これは、医学的には過食症と呼べなくても、「過食症という病名を付けられる数歩手前」と言っても過言ではありません。体が本来欲していないカロリーを欲するということは、医学的に過食症という病名がつけられなくとも、間違いなく過食なのです。
 なぜこのように、つい余計なものを食べてしまうのか。これについては、アダルトチルドレン(以下「AC」)という概念が鍵になります。次項では、このACについて見ていきましょう。
 
 
ACは心の風邪
 
 ACとは、精神医学の考えのひとつです。一時期ブームになったので、名称だけは聞いた事がある方も多いでしょうし、それゆえに、ACの意味を間違えて憶えてしまった向きも少なくないと思いますので、ここで少し説明をしたいと思います。
 
 まず、よくある誤解が「ACは子供っぽい大人の意」でしょう。これは、正式名称の後ろ半分が省略されて日本に広まってしまったために生じた誤解です。
 ACの正式名称は「アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリークス(ACOA)」、直訳すると「成人した酒害家庭の子供」。これの前半部分だけが略称として広まってしまったわけです。
 だから、上記の誤用は無論のこと、未成年に対してACを用いるのも正しくない(未成年なら、アダルトのAを省いてCOAとなる)のです。そして、和訳からも分かるように、これは「生い立ち」を示す言葉であり、「病名」でもありません。
 また、本来は酒害家庭の出身者にのみ用いられていた言葉ですが、研究が進んだ結果、もっと広い家庭問題が関係していることが判明し、近年では「アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナルファミリー(ACOD)」、すなわち「成人した機能不全家庭の子供」という語が用いられるようになりました。
 
 私は、ACは「心の風邪」であると考えています。心の風邪というと、最近では鬱病の代名詞として用いられることが多いのですが、あれはどちらかと言うと「心の過労」で、心の風邪という呼び名は、ACにこそ相応しいのです。
 まず、理由のひとつが「病名ではない」という点。実は、肉体の方の医学で、風邪は病気としてみなされていないことをご存知でしょうか。何しろ、原因となる病原体も多岐におよび、症状も千差万別なのだから、これを「ひとつの病気」として扱うことは困難です。
 だから、「風邪っぽい症状」は、すべてひとまとめにして風邪と呼び、インフルエンザのように、原因のはっきりしたものがそこから独立して、ひとつの病名が与えられえるのです。
 
 では、ACはどうでしょうか。
 ACの症状は「主に対人関係から来る生き苦しさ」。息苦しさの誤字ではなく、まさに生きるのが苦しいのです。そして、原因は親や地域社会の愛情不足により、誤った価値観を持ってしまったこと。愛情不足という不特定の病原に冒され、様々な症状を現す……まさに、心の風邪と呼ぶ他ありません。
 また、私がACを心の風邪と呼ぶ理由はあとふたつあります。それは「罹患率の高さ」と、「伝染力の強さ」。
 恐らく、本書を手にとっている方で、今までの人生で一度も風邪を引いたことのない方はいないと思いますが、日本人の七割はACであるとする研究者もいるほど、自覚の有無に関わらず、AC罹患者は多いのです。
 また、九段坂病院の心療内科医・山岡昌之氏によれば、今から二十年ほど前に二万人ほどを対象にアメリカで行われた調査では、実に九割以上に、何らかの精神的な異常が見られたそうです。
 こう書くと驚く向きもあるでしょうが、私に言わせれば、病人なのが当たり前なのです。
 
 私から読者に問いたい。「心が健康とは、どういうことか」を。
 
 これについて、明確な返答が出来る方は多くないと考えます。なぜなら、「大半の人は心が健康で当たり前」という、根拠のないことを常識にしてしまっているためで、実は「大半の人は心が不健康で当たり前」なのですから。
 こう言い切る理由は明確です。差別・いじめ……こうした、マジョリティからマイノリティに対して行われる忌まわしい言葉と行為の数々が、未だに滅んでいないからです。もし、世の人々の大半が心の健常者ならば、このような言葉や行為はとっくの昔に失われていなければおかしいのです。
 こうした現状を考えると、病気の方が普通と考えた方が自然です。体の病気が体が弱った状態なら、心の病気は心が弱った状態です。それは癒すべきものであり、恥じたり貶されたりするべきものではありません。
 
 
ACと嗜癖
 
 ACの症状には風邪と同じく色々なものがあるわけですが、その最たるものが嗜癖です。嗜癖というとなんとなくピンと来ないかも知れませんが、アルコール依存症とかニコチン中毒などと書くと、分かりやすいかと思います。
 ACの心の奥底は、常に無償の愛情に飢えています。この飢えを満たすための愛情の代用品として、ACは様々なものに嗜癖します。以下に、嗜癖の代表例を挙げていきましょう。

・過食、過飲
 本書のテーマでもある、代表的な嗜癖のひとつです。口唇欲という要素が影響しています。口唇欲がある状態とは、いわゆる「口が寂しい」状態です。これは、授乳への執着を示し、授乳期に何らかの問題があったことが疑われます。肥満がある場合は過食を。ペットボトルが手放せないようなら過飲を疑ってください。
 
・痩身(拒食)
 過食と表裏を成す嗜癖で、痩身願望が行き過ぎた結果、拒食症を発症します。これは、過食と併せて、摂食障害と呼ばれます。痩身願望=醜形恐怖は、子供の頃に「そのままの自分でも愛されるのだ」という自信を得られなかったために起こります。
 
・アルコール
 ACOAの由来になるほど代表的な嗜癖のひとつです。毎日アルコールを飲むようになったらアルコール依存に陥っていると見て間違いありません。酔った勢いで迷惑行動を起こすため、周囲の人間にとって、嗜癖の中でも一、二を争う脅威となります。
 
・ニコチン
 ニコチン、すなわちタバコもまた有力な嗜癖対象のひとつです。脳医学で見た場合、ニコチンがセロトニンという脳内物質の代わりをしてしまうため、セロトニンの生産を弱らせ、代用物としてニコチンが手放せなくなるのですが、精神医学で見た場合、喫煙者が主に「口が寂しい」ことをタバコを止められない理由に挙げる点から、口唇欲が注目されます。
 
・仕事
 日本などの資本主義社会では、仕事の出来る人間が評価されます。もっと平たく書いてしまうと、儲ける能力のある人間が評価されます。ですから、子供の頃、親や周囲からありのままの自分を認めてもらえなかったACは、仕事を成し遂げたときに得られる賞賛と報酬に嗜癖します。
 結果として、「仕事が出来る自分」というステータスに依存してしまうので、仕事以外の面で支障をきたしたり(家庭内でのトラブルなど)、鬱や過労に倒れたり、仕事がなくなったときに燃え尽き症候群になったりしてしまいます。
 趣味と余暇を持つのはもちろんですが、能力以外の面……たとえば人格がきちんと評価されていくような世の中にしていく必要があるでしょう。
 
・賭博
 これも代表的な嗜癖のひとつで、しかも破滅の危険度が非常に高いものです。賭博への嗜癖は、初期にビギナーズラックで勝ってしまった人間が陥りがちです。この結果、最初に知ってしまった「労せず儲ける」という快感を求めて、泥沼にはまっていくことになります。
 賭博というものは、胴元が必ず儲かるようにできているので、最終的には収支がマイナスになります。しかし、マイナスを自覚する頃には「労せぬ勝利の快感」に嗜癖しきっているので、抜け出すのが難しいのです。
 一見、ACと関係なさそうに見えますが、上記の仕事への嗜癖と表裏を成しており、根本には完璧主義=素の自分を認めてもらえなかった経験があります。いわば、仕事で上手くいった場合は完璧主義を発露して仕事に嗜癖し、上手くいかなかった場合は、「勝利」への未練から賭博に嗜癖する、という具合に分岐するわけです。
 
・買い物
 いわゆる買い物依存症も、立派な嗜癖です。衝動買いが止められない、限度を超えて買い込んでしまうというのも見分けるヒントですが、買い物が済んだとたん商品への興味が失せ、「なぜこんなものを買ってしまったんだろう」と後悔、自己嫌悪することが最大のポイントです。
 貧乏をしてきたACよりは、愛情の代わりにモノを与えられて誤魔化されてきたACがなることが多いようです。
 
・人間関係
 実は、アルコールなどよりもさらに顕著な嗜癖がこれです。嗜癖の対象となりうるのは、なにも物や行為だけではありません。ACはもともと親子関係という、人生初めの人間関係の失敗に苦しんできたことを考えれば、人に嗜癖するのは当然の流れといえます。
 人間関係の嗜癖は、専門用語で「共依存」と呼ばれます。親は子に「よい子」を求め、子は愛情欲しさにそんな駄目親に奉仕する。あるいは、ドメスティック・バイオレンスを受けながらも、「この人は私がいないとダメだから」と悲劇のヒロインに浸る……これが共依存の主な例です。
 こう書くと「やはり依存はよくないのか」と早合点する人が出てしまうでしょうが、それは違います。片方が片方に一方的に依存できる状態、つまり正常な親子の関係の再現ならば、問題が無いどころか、ACの解決に劇的な効果をもたらします。これが、後述する再養育療法の目指している形です。要は、共に依存するからいけないのです。
 
・宗教
 宗教もまた嗜癖のひとつです。ACは「大きなものに庇護されたい」「完璧になりたい」と常に考えているので、すがることや超人を目指して苦行を励行する宗教というものに、魅力を感じるわけです。というよりも、大昔のACたちが神という嗜癖対象を求めて宗教を生み出したと言った方が適切でしょう。
 
・性
 性への嗜癖は、性的倒錯もそうですが、売買春や、相手をとっかえひっかえすること方がどちらかというと注目されます。売る方は父性を、買う方は母性を心の根底で相手に求めているのです。しかし、売買春の関係でそのようなものが得られるはずもなく、同じことを繰り返していくという次第。相手を次々に変えるというものも、心理としては同様です。
 
・窃盗、詐欺
 窃盗、詐欺といった、常習性の強い犯罪も嗜癖です。たとえば万引きには「こんなにあるんだから、ちょっとぐらいいいだろう」という心理が背景にあります。結婚詐欺師は「相手にもいい夢を見せたんだ」と言い訳をします。
 これらの背景には、自分の迷惑行為を受け入れてほしいという心理が奥底にあり、だからといって、許されるわけではないのが分かっているので、言い訳がましさが前面に出てくるわけです。

 この他にも、麻薬、インターネット、伝統など、様々な嗜癖があります。
 しかし、いくら吐くほど食べたとて、あるいは他の嗜癖に逃げたとて、それで愛情の飢えが満たされるわけではありません。むしろ、本当の飢えが満たされないことと、過食行為への自己嫌悪で、よりいっそう心が寂しくなる=食べてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。
 この悪循環を断ち切る手段はただひとつ。無償の愛情で心を満たすことです。次項はこの方法について見ていきましょう。
 
 
過食の特効薬・再養育療法
 
 こうした愛情の飢えを満たすのに特効的な効果を持つのが、再養育療法という精神医療の手法です。これは、シュヴィングという心理療法士が原型を編み出したもので、「子供の頃に親にやってもらいたかったのに、やって(やらせて)もらえなかったことを、他者の協力によって叶える」というものです。
 本来は摂食障害の治療に用いられる特効的な治療法ですが、摂食障害とACの原因・症状のマトリクスは非常に多く重なるため、ACの治療においても有効であることになります。
 心の病は治療後再発することが多いというデータがありますが、こと再養育についてはそういう話を聞きません。なぜならば、薬物療法はもとより、心理療法でもせいぜい幼児期の愛情不足を自覚させ、なおかつ視点を変えさせる程度までしかやらないのですが、再養育は病の原因を根元から解決するものだからです。
 再養育にはもうひとつ、TA(交流分析)とよばれる学派のものもあってややこしいのですが、本書で再養育といった場合には、基本的にシュヴィング式を指します。
 精神医療がどうこうというと身構えてしまう向きもあるでしょうが、「風邪を引いたから内科に行って、薬もらって療養する」というのとたいした違いはありません。単に、今まで心無い人たちによって、「特別な人だけに関係ある、特別なもの」という偏見が広まってしまっただけのことです。
 次に、具体的な再養育の内容ですが、これは受ける人それぞれとしか言い様がありません。なぜならば、乳幼児期に何をして(やらせて)欲しかったかが異なるため、一般的な例を挙げることができないからです。
 しかしながら、いくつかの共通点というか、最大公約数のようなものは挙げることは出来ます。それは、無償の愛情・スキンシップ・許容の三点です。
 
 まず、無償の愛情。ACは親から「育ててやってる」という恩着せがましい態度で常に接してこられたため、もし再養育者が欠片でもこのような邪心を見せればたちどころに被再養育者に看破され、全て台無しになってしまいます。
 ここで、これが分からない無自覚なACはさらに「やらせてもらっているとでも言えばいいのか」などと見当違いなことを言ってくるのですが、単に「被再養育者に愛情を与えたいからやる」という、自然な心構えでいればいいだけのことなのです。
 次にスキンシップ。これは撫でる、抱きしめるなどの直接的なものの他に、授乳(これは物理的に不可能な場合が多いので、哺乳瓶で代用します)、一緒に入浴、一緒に遊ぶ……などなど、実に多岐に渡ります。
 そして、このスキンシップのうち、どんなことをしてほしいかは被再養育者次第ですので、一概に「これをやってればいい」というような書き方はできません。しかし、やはりこういった欲求の根本が過去のスキンシップ不足にあることだけは確かなのです。
 最後に許容。ACは子供時代、あらゆることを許されずに生きてきました。何か失敗してはねちねちと責められ、欲求を言えばわがままと切り捨てられ……これで、心が健やかに育つ道理がありません。ですから、失敗も欲求の発現も、きちんと受け入れ許容するという姿勢が肝要となります。
 
 以上三点、本来ならば受けられて当たり前の、なんと言うことはない話です。しかし、この国ではその当たり前がなかなか受けられないことは、児童虐待のニュースなどを引き合いに出すまでもありません。
 そして、この当たり前を与え直す再養育療法は、こうした愛情を知らない心の貧しい人が多いために、再養育者のなり手がいないというのが現状です。
 また、上記の九段坂病院を筆頭に、国内では主に再養育は治療者でなく実の親や親類が行うのですが、これは効果面よりも、健康保険が適用されないため、コストを重視しての結果です。この結果、親や親類の協力を得られないACが再養育を受けるには、千万単位の金を持って、海外に飛ばなければいけないのが現状です。
 実際には、ACの原因となった心の不健康な親にやらせるよりは、心の健康な赤の他人にやらせた方が、速やかによい結果が出るのは明らかです。また、千万単位の金が外貨として海外に流れていくのは、日本にとってもマイナスです。
 過食による糖尿病やいじめ、犯罪、差別などが深刻な社会問題となっている現状、この再養育を広めて心の健康な人を少しでも増やし、世の中を変えていくことが我々に求められているのです。
 
 
再養育療法の代用
 
 上記のように、残念ながら、再養育は受けたくてもなかなか受けることが出来ないという、敷居の高いものになってしまっています。これを誰でもいつでも自由に受けられるように法を変えていくことが我々の急務ではありますが、改革の常として、大変時間がかかるという難点があります。しかし、本書を手にとっておられる方は今も寂しさから来る食欲やその他の不都合を抑えられず困っているでしょうから、再養育の代用を紹介したいと思います。
 無論、これは代用ですから、あくまでも再養育支援の体制を公的に整えるのが第一です。以下のものは、こうした努力・運動を皆様が少しずつでいいから行いつつ用いるものなのだとご理解ください。
 
1.ゆっくり休む
 ACは親から完璧人間になることを、常に言外に、あるいは直接的にせっつかれてきています。つまり、心に余裕のまったく無い人生を送ってきたわけです。こうした背景を持つため、鬱病になりやすい完璧志向に陥ってしまっているのです。
 そのようなわけで、まずは休養を可能な限り取ることをお奨めします。ただ、上記のような経験をしてきているため、休息中も心の底からリラックスすることは難しいものがあります。そのような場合は、逆に無理に休もうとはせず、無理をしない程度に仕事をするという方向に発想を転換するのがよいでしょう。無理をしてまで休むというのでは、本末転倒です。
 
2.ACの溜まり場は避ける
 類は友を呼ぶといいますが、ACもACを呼びます。こうしたコミュニティは空気が悪くなり、いじめや陰口などが横行するようになります。あなたがこのようなコミュニティにいる場合は、そこから逃げるのが懸命です。
 具体的に言うと、転校や転職ですが、受験や入社で苦労した手前、そうもいかないという声もあるでしょう。しかし、そうしたコミュニティに居続けることで神経をすり減らし、結果として鬱病やノイローゼになってリタイアしてしまっては、かえってマイナスではないでしょうか。
 逃げることは恥ではありません。誰もあなたの心身の健康を守ってくれないのならば、撤退することもまた勇気です。
 この意味において、私はACの治療に用いられるグループカウンセリングには極めて懐疑的です。
 
3.発想を切り替える
 これは、認知療法と呼ばれる手法の応用です。例えば、誰かに悩まされている場合、「こんなつまらない奴のせいで時間と心を無駄にするのは馬鹿らしいことだ」と考えを変えるなどがこれにあたります。
 特にACは親と世間から刷りこまれた誤った考えを抱いており、そのせいで苦しんでいるので、「全ての親が子を愛してるとは限らない。親や世間が愛情と言い張っている行為は、実は虐待だった」という発想の転換に至れるかどうかが改善の鍵となります。
 また、逆に世はとかく怒りを捨てろ恨みを捨てろという方向に口を出してきますが、私に言わせればこれはお奨めできません。感情というものは、抑圧しても消え去るものでは無いからです。ここは、その怒りを世の中を変えていく方向にぶつけていくのが正解です。怒りの対象そのものという「木」よりも、その怒りの対象を生み出し、存在を許している「森」と対決するのです。
 あなたが苦しいときは、別の視点からものが見れないかどうか、まず試してみましょう。
 
4。子供の頃やりたかったことをやる
 ACは、他人からの評価を大変気にします。言い換えると、世間体を気にしているわけです。しかし、実際のところあなたが世間の一部の人間しか興味が無いように、世間の人間にとっては、概ねあなたもまた、どうでもいい存在なのです。
 ならば、これを逆手に取って、開き直るのがベターです。あなたは親に邪魔されて幼児期に心の奥底に封印した、「やりたくて仕方なかったこと」を色々と抱えているはずです。この、やりたかったことを、少しずつ自分自身で叶えていくのです。
 ただし、このとき本当にやりたいことと嗜癖を、混同してはいけません。嗜癖はあなたが本当にやりたいことの代用として見つけ出したものですから、これをいくら満たしても、あなたの心の問題は解決しないのです。
 これを見分けるポイントは、これから満たそうとしている行為が、幼児的・本質的なことかどうかでしょう。あなたが満たすべきは幼児期から心に秘めてきた欲求ですから、酒やタバコなどは、これから明らかに外れるわけです。
 また、行った後に後悔や自己嫌悪が襲ってくるようなものも、外れです。本当に自分がやりたいものであった場合、こうした感情は湧きません。

 他にも様々な方法が考えられますが、とりあえずはこんなところでしょうか。ただし、これらはやはり再養育の代用の感がぬぐえません。あなたの苦しみの根治には、再養育を安心して受けられる環境作りが第一なのだということは忘れないでください。
 
 なお、こうした行為を行っているうちに、「いい歳をしてそんなことを」などと言って、邪魔しようとしてくる人間がいるかもしれません。しかし、こういう手合いは無視するに限ります。考えてみてください。こういう邪魔を入れてくる人間が、あなたの問題解決のために何かしてくれるでしょうか。
 してくれませんね。常識と思い込んでいるだけの自分の経験の鋳型に、あなたをはめ込みたいだけです。さらに言えば、自身がACであるので、あなたが成長していくことが許せないのです。
 繰り返すように、世の中でACでない人間を見つけるほうが困難です。どうか惑わされず、あなたの心を解放していってください。
 
 
家庭を持つのはACを克服してから
 
 もうひとつ、皆さんに注意していただきたいことがあります。それは、家庭や子供に幻想を抱かないということです。
 「結婚すれば幸せになれる」「子供を産めば幸せになれる」そんな想いを漠然と抱いている方は多いでしょう。しかし、残念ながら女性誌をにぎわす嫁姑問題や、しょっちゅう報道される児童虐待報道が、その想いは過ちであることを示しています。これらの話題になった人物たちも、「家庭を持てば幸せになれる」そう漠然と考えて家庭を持ったことでしょう。
 そうした人たちが、ACを克服せずに家庭を持ってしまった結果が、ニュースやワイドショーの話題の種です。何事も、「自分だけは大丈夫」と考えるのは危険なことです。実際、糖尿病治療の現場では、子供の糖尿病の増加が大変大きな問題となっています。
 
 ACを克服できないうちは、なかなか自分を本当に幸福にしてくれる人を選ぶのは難しいことです。家庭を持つのは、その目を養ってからでも遅くはありません。
 


 
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